清少納言の枕草子に、冬はつとめて、とありますが、どうです、この黎明の赤々。遠くの都心のビルまでくっきりです。時計は7時ちょっと前。
ぼくは、この東の空を眺めながら、何かで読んだ小説で、昭和20年、東京大空襲に襲われた夜、郊外の高台から東京の方を見ると、夜明け前なのに、まるで朝焼けのように地平線が赤く染まっていたという文章を思い出しました。戦争、空襲、敗戦、占領軍、米軍基地と連想が進み、米軍基地、ジョンソン基地、入間基地、入間市A町、A町のコンビニの元兵隊の古老、Sさんとの会話と、どんどん脳のシナプスがつながったのです。
入間市のSさん(5年前で85歳)はコンビニのオーナーでしたが、店は息子夫婦にすっかりまかせっきりで、自分は大抵外にいて、ごみなどをかたづけたり、竹箒で駐車場を掃除したりして、どうも店内にいると邪魔扱いされているようなのでした。何度かその店に通ううち、その爺さんと目が合って、ちょっとした世間話をしたのがきっかけで、あの忌まわしい、ジョンソン基地の米兵による日本人射殺事件を知ることになったのでした。
それは、昭和33年(1958年)9月7日。警備任務中の米兵が西武新宿線の乗客に向けて銃を発砲。日本人の男子大学生に命中、死亡させたというものです。
この大学生は、武蔵野音楽大学に通いながら、この基地に音楽の演奏のアルバイトをして学費を捻出していた、熊本県出身の苦学生だったそうです。
この事件では、この米兵はなんと禁錮10月という軽い罪でした!
さて、このたびの辺野古埋め立てです。振興策という札束と引き換えにまたも基地側から受ける周辺住民の屈辱。
あのジョンソン事件から何も学習していなかったのでしょうか。
太陽がだんだん昇ってきて、もう肉眼では見つめるのがきつくなってきました。休みの朝はすぐ終わっちまうんだなあ。